500文字の鵲ショートショート

毎日500文字のショートショートを記します。

オアシスの言い伝え。

「その水は飲んではいけないんですよ」ヨーゼフは観光客のアリに話しかけた。目の前のオアシスから湧き出る透明で涼やかな湧き水を、今にもアリが口にしそうだったからだ。アリは「どうしてですか、こんなに綺麗なんですから飲めるのでは?」とヨーゼフが止めるのを不思議がる。それは街が出来る前からずっとあるオアシスだった。白昼の広場は蒸し暑い。ヨーゼフはアリに「店に入ってからお話しします。ここは暑いので」と2人で煉瓦作りの建物に入った。「なぜ私が貴方にあの水を飲むなと言ったのかですが、ここの住人は昔から皆あの湧き水は飲まないんですよ。水はここから100キロ離れた浄水場から送られてきます。その水を飲むんです」「あの水を飲まないのはどうしてですか」アリはグラスに満たされた水を口にした。「この水は浄水場の水」「そうです」ヨーゼフは煙草に火を着ける。「私が、子供時分にひい婆さんから聞いた話ですがね、この街の地下深くに紀元前の原子炉が埋まっているって言い伝えがありましてね。1度偉い学者が来て発掘調査をしたそうですよ、何が出たのかは分かりませんが今でも、役人も飲みませんよあの湧き水はね」ヨーゼフは煙草をもみ消した。

9804年地球。

ダヴィンチ・13という名の地衣類が緩やかな起伏が続く視界一面を覆っている。9804年の地上には、ぽつぽつと200メートル級の低山が存在していた。皆、独立峰に見えるがそれらは原子力発電所が幾重にも地層で覆われた山である。この地下に稼働を止めた原子炉が存在していた。辺りに人間らしき生物は見当たらない。もともと海岸だった場所は海岸線が後退し海は遙か彼方に遠のいていた。放射能半減期は過ぎたが動くものといえばダヴィンチ・13の先端のみ。生態系はガラリと変化し、約2500年前に地球上で6回目の絶滅イベントがあったようだ。人類は絶滅してしまった。あれほど多種多様な生態系や地上の地形も、今は大陸の沈下や山脈の消失などでまるで変わっている。地上に偶然残された原子力発電所の山だけが人類のいた証明になっていた。プルトニウムは地下に眠っている。放射性廃棄物の最終形態が時々地表へと一部出てきたり、海面を漂っている。海の色は暗い。海の中はどうなっているのか分からない。また始めからのやり直しになった。多様な生命は海の底からやってくるか或いは宇宙から降り注がれるまで、しばらく世界は風と地衣類と小さな海だけになった。

空き部屋。

林立するタワーマンションの隙間を夕日が降りていく。60棟はあるだろう。張り巡らされた路面電車のLEDライトが軌道を行き交う。車体は小豆色と焦げ茶色の2色使いで窓枠はアルミ製の銀色が映える。建物の上層部には温室が作られていた。その温室から遠くない一室がずっと何故か空いていた。ある時のこと、温室で老婦人が倒れた。フロントへ連絡した後、真里は母親が婦人を看病するのを見ていた。婦人は冷汗をかき手が冷たかった。「大丈夫?」真里が聞くと母親は「誰か呼んできて」と頼んだ。診療所は別の棟にある。14時のタワーマンションは人気がない。フロントの人はまだ来ない。真里は次第に鼓動が早くなった。階を巡るスロープを降りるうちあの人が死んだらどうしようと怖くなってくる。「どうしたのかな、お嬢さん」白衣姿で眼鏡の老紳士が唐突に真里に声をかけた。手をとり婦人を見る紳士は「部屋でゆっくり休んだほうが良いだろう」と徐に婦人を抱きかかえるとずっと空いているあの部屋へと入って行った。やっとフロントの人が来た時真里たちは事の顛末を話すと相手は大いに驚き部屋を訪ねたが、鍵は掛かったままで老紳士と老婦人は何処にも見つからなかった。

黒門を入る。

奈良時代にその門はそこに現れた。2層造りの屋根のかかった黒門である。門には扉も付けられその表面は鉄の板で覆われていた。門に使われている柱は円筒形をなし、ひと抱えするほどに堅牢なものだった。門には刀傷や銃撃された痕も見受けられた。奈良時代は寺院の入り口とされた黒門は荘園の門になり、時代を下ると武家屋敷の門にまた軍人の屋敷の門となった。そして戦禍においても焼け残り現在に至る。私と家内は今日、月命日で来た。途中花と菓子と蝋燭と酒を求める。黒門は前日の雨のせいで黒々と立っていた。鉄の扉は開いていたが表面は露を帯びている。見上げるとヒラヒラと何かが揺れていた。「何かしらね、あれは」家内が不思議そうに私に聞いてきた。見ると組まれている木と木の隅に白っぽい紐のような、紐よりも薄く平たいものがかかって揺れている。私は胸元のポケットから双眼鏡を出した。私は野鳥の観察をよくしていた。双眼鏡の中に映る物は私を困惑させる。「何だろうなぁ、布切れにも見えるが」しばらく私は観察し続けた。平たい紐が裏返った時、私は答えを知った。「あれは蛇の抜け殻だよ」と家内に伝えると「蛇の抜け殻なんて初めて見たわ」と驚いて言った。

3人しりとり。

からしりとりが始まった。路面電車の最後尾で土田はしりとりを始めた。「アイス」隣の中村が参考書から顔を上げて「酢飯、し」と続く。窓際の山根は「酢飯ってなかなか」と驚きながら「渋谷公会堂裏、ら」と言った。「裏ってあるのか?」土田が疑問を挟んだが続く。土田「ラトビアで農業、う」中村「運転を再開しました。た」山根「大洋ホエールズのファンだった人。と」土田「それはかなり歴史を遡るのでは?隣のアンドロメダ星雲までどの位でしょうか、か」中村「簡単に言うと、足で1歩でしょうか、か」山根「火災予防週間です、す」土田「すっかり中村が輝いているんですが、が」中村「画素数が気になる。る」山根「留辺志部橋」土田「なんて読むの?」山根「るべしべばし、し」土田「シベリア鉄道で旅、び」中村「ビールで乾杯、い」山根「行こうよマチュピチュ、ゆ」土田「ゆりかごから駅まで、で」中村「伝書鳩100羽用意したから安心して、て」山根「手紙を書くよ、よ」土田「よくわかる日本語、ご」中村「五回ゴマすって誤解招く、く」山根「中村、新境地だね。草津温泉全部貸し切り、り」土田「リーダー募集、う」中村「なんで俺じゃん」土田山根「凄いよ中村」。

アンモナイトの枕。

アンモナイトの化石は化石の好きな人にはいつも人気がある。私も特別に大切にしている。大理石の壁を丹念に観てみると運良く尖ったアスパラガスのような模様や渦巻き模様を発見することがある。それは化石だ。私はヒマラヤ山脈の高所にアンモナイトやその他の化石が詰まっている宝物の地層があることを知っている。ヒマラヤ山脈が元々海の中にあった証拠なのだが、そこに私の特別なアンモナイトがある。両腕で輪を作った位の、形の整ったアンモナイトだ。そのアンモナイトはまるで王様のように威厳を示した。私はそこへ行く度に王様アンモナイトと時間を過ごす。私は迷っていた。地上に降ろすか。このままにしておくか。王様は地上に降りたくないかもしれない。ヒマラヤの階にアンモナイトと2人でいた。豊かな生命の証が地層には残されている。研究者としてよりも同じ生命体として私は地層の化石たちやアンモナイトと話をする。約4億3730万年前から繁栄していた時代の地球を教えてくれる。人間のいない時代の地球の話。ヒマラヤの高い所からアンモナイトはきっと観ていた。人間が登場してから繁栄していく様子を。神に仕える王様アンモナイトは今何を思っているだろう。

那珂川の釣り人。

早朝の那珂川に小雨が降っている。広い河原の細かな石を踏み川に近づいていく。那珂川は橋が多いが川幅が広く川としてとても美しい。菅笠と胴長とつり道具を手にがさがさと行く。私に気づいた鴨らが鳴いて飛び去った。川は少し濁りがあった。まだ冷水病の話は聞いていないので今日、日がな一日釣りをしに来た。まだ自分の他に釣り人は見ていない。シーズンになるとあそこでもここでもとにわかに釣り竿が賑やかになる。国道が通る橋から那珂川に目をやると、川の両側から釣り竿が並木道を作るように川を挟んでいる。鮎のシーズンだ。 釣り竿を振り糸を川へと流して様子を見る。これを延々と一日中やっている。時折場所を変えてみるがやることは変わらない。水はだいたい冷ややかだ。家内を1度連れてきたことがあるが、それきりついては来なくなった。家内は釣りに向かないタイプだった。20代から釣り人となり50年近く続いている。川中に立ち続け、ひたすら待つ。釣り竿が撓り、銀色の魚が空中を私の方へと飛んでくる一瞬を待つ。その瞬間とその後の網で魚が泳ぐのを見る時、私は心躍らせる。釣り人なら、分かってくれるだろう。シュッと音を立て1番目の魚が飛んでくる。