500文字の鵲ショートショート

毎日500文字のショートショートを記します。

サラバンド。

ある辺境の小国に、偉大なチェリストが帰って来た。それまで各国をオーケストラと共に周り続けていた。世界を周りはじめた頃は若かったチェリストも古老となった。相棒のチェロはチェリストの心模様をなぞるように音を奏でる。彼の帰郷に国中が湧いた。彼を…

75年の背骨。

脆くなった背骨が、屈む度にキクキクと音がするようでタミは体を動かすのが億劫になっている。畑仕事を50年続けて日に焼けた両手が寒さでかじかむようになってきた。その上背骨の不調である。冷え込みがキツくなると、痛みが走るようになっている。毎日坂の…

静かの海より。

384,400キロメートルの距離を地球と月は見えない力の作用でつながりあっている。太陽系の重力が変化し月が地球を離れ遠ざかり、月を持たない地球になった頃には夜空は光る者のない、ただのテレビ画面になるのだろう。火星も木星も明星も遠ざかる。鏡像的世界…

猫目石日和。

末期癌の妻を自宅に連れ帰ってからは、私ひとりで彼女の世話していた。看護師から緩和ケアについて、丁寧な指導を受けている。彼女は生来の頑固さで、モルヒネを使わないのではないかと心配していたが、彼女は緩和ケアを受け入れていた。私は、彼女がこれか…

さらさらと死ぬ。

リン酸系アルミニウム属の人間が臨終を迎えるにあたって、細胞分裂の家族から伝統の儀式を依頼された。私は60年ぶりの引導師を務める。儀式は夜通し4日間に渡る。その間臨終を迎える者が正しい化学反応を示せるよう、私はその正確な過程を耳打ちし続けなけれ…

雪の世界に。

明治に建てられた数寄屋造りの山田家は、今庭師が冬支度を進めている。何代にも渡って作られた庭園は見事な調和で四季を移ろわせ、県内でも有数の庭園として名を馳せていた。佐々木は庭師として父親と共に庭園の管理を任されている。その父親の引退する日は…

隕石ハンター。

オーストラリアの砂漠をシマノはジープで走り回っていた。この砂漠を自分の庭のごとくシマノは知り尽くしていたのでガイドはいつも連れてこない。地平線にエアーズロックの影が見える。シマノは金属探知機を手に砂の上を歩き回る。赤茶色の砂に黒い岩石がゴ…

隣の魔法使い。

日曜の朝から雨が降り続き一週間になる。中庭は水浸しになり雨の輪が延々と至る所で消えていく。マヤ夫人は猫を抱きながら居眠りをしている。ラジオから株式情報が流れている。残りの猫たちは窓際に集まり外を眺めている。チャイムの音でマヤ夫人は目を覚ま…

駆け落ち。

大正末期、東北地方のある寒村から一人の少年が山梨の斑目家に奉公に入った。豪農で知られる斑目家の当主佐吉は小作人を多く抱えていた。奉公に入った弥平は14だった。弥平の他に10人程の奉公人がいた。父に似て体格がよく生まれ故郷では堤防工事に駆り出さ…

メリークリスマス。

クリスマスの聖歌隊なのだろうか、子ども達が歌の練習をくり返している。外国語の歌は12月の冷えた空気に似合っている。子ども達が放っている伸びやかな高音域の重なりは、空から大いなる存在の何者かを地上に呼びよせるような、例えばあの大天使ミカエルを…

樫の木の100年。

造成されたニュータウンの公園にシンボルツリーとして樫の木が植えられた。あれから四半世紀が経ちニュータウンも変わった。樫の木の幹は大人の胴周り程になり遠くからでも目を引いた。ニュータウンが出来た当時移り住んできた若い家族たちも樫の木と同じ25…

早朝の2人。

まだ誰も踏みいれていない新雪のなかを行くようにチサさんと太郎は日課の散歩をしている。朝日が昇る前のいつも通りのコースを1人と1匹で10年近く共に歩いている。朝日に向かって歩くこの散歩コースが2人は好きだった。チサさんはご主人には話さないことも太…

苺ジャムの話。

苺農家のナミさんが、出荷出来ない苺を黄色い箱に山盛り入れて台所に入って来た。「ジャム作ったことあるかい」とアサコさんに尋ねた事からジャム作りが始まった。午後1時の台所。よく洗った苺のヘタを取り除くため、ナミさんとアサコさんは並んで黙々とこ…

猫が来た。

ある日キジネコがわが家にやってきた。出産間近の風体の母猫は億劫そうに日向の隅に横になる。野良のようで私が近づくのを嫌がる素振りなので仕方なく私たちは遠くから時々様子を窺う。「今夜産むかも知れないね」と私が妻に言うと「寒くないかしら」と妻は…

常磐ベーカリー。

常磐ベーカリーの朝は早い。日が昇る前から起き出しパン種の発酵具合を見る。ガスオーブンにスイッチを入れパン種を加工し年季の入った型に詰めて焼き始める。午前6時には最初のパンが焼きあがるあの香りが、パン工房からあふれ出て通りを漂っていく。朝早い…

点灯夫の話。

点灯夫の橘は今日も夕暮れの街を回って歩く。ガス灯の硝子を棒で開き火を点しては閉めるのを担当分だけ繰り返す。ガス灯に灯が点ると都会の夜は陽気になった。祝日には花電車も通う賑やかさだ。早々に回り終えた橘は近くの夜鳴き蕎麦に入る。「亭主一杯もら…

千段怪談。

ある時、姉に千段の階段を競争しようと持ちかけた。夏休みのラジオ体操の後、私たちは千段あるといわれる石段の下に揃う。ジャンケンで姉が勝ち「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト!」と言いながら階段を駆け上がる。「グ・リ・コ・の・お・ま・け・つ・き!」「パ・イ・ナ・ツ・プ・ル…

同行二人。

老師が独り、山中の小径を登って行く。遠く炭焼き小屋の煙が立ち上る。山の午後は陰りが早い。午後2時を過ぎる頃には日は山向こうに消えて、山影と一緒に寒さがやってくる。老師は錫杖を手に峠にさしかかった。立ち止まった老師が腰を伸ばして息をつくと、…

絵師の群青。

岩絵の具の群青を作る時、鉱石の藍銅鉱の粉末を使う。乳鉢に少量をとり乳棒にて丹念にすり潰していく。そこに溶いた膠を入れて再びすり合わせ群青になる。タカヨシはこの天井画を見上げると自分の身が点になったような気がした。伽藍の天井には、他では滅多…

中有に行く。

中有とは亡くなった人やこれから生まれていく人が集まる所である。事故で私は死んだようでした。カーブを曲がる時、対向車が私の方へ向かってくるのが分かりましたが長い一瞬でした。車の運転手がはっきりと見えました。彼もまた、ガードレールに突っ込み車…

山茶花の頃のこと。

山茶花の咲く頃になると思い出されるのは、妻の姪のことである。今は米国に移住し何年にもなるが、姪は妻と双子のように面差しや声が似ており、会えばふとした時に亡き妻に会っているような錯覚を覚えた。そんな姪と山茶花とがなぜ私の中で結ばれているのか…

ある夜明け前のこと。小雪記念。

午前3時半の世界には割りたての黒曜石の空があった。原始の人は黒曜石で鏃を作り、狩りをし、皮を剥ぎ、生きのびた。集落の男達は日本海を危険と共に舟で南下しては大陸と交流していた。森林が深く、化学物質の汚染のない世界。縄文の日本は豊かだった。そ…